堺市少年団の歴史を探る

投稿済みの「堺市少年団のあゆみ」「健民少年団の歴史」をまとめ、6月の横浜市での調査資料をもとに加筆修正したものです。

2018年8月7日

堺市少年団の歴史を探る

1.健民少年団の歴史

堺市少年団が加盟していた日本健民少年団連合の資料からその歴史を概観する。

日本健民少年団連合のホームページには「昭和28年3月下旬に、各地区の健民会から推薦された少年、少女1,200名が、田園地帯である神奈川県相模原町での交歓活動に参加した。これが健民少年運動として計画的な活動に移った最初の試みであった。」(注1)とある。この「健民会」は横浜市の子ども遊び場確保運動(昭和25年)に端を発し、その指導組織として昭和27年ごろから横浜市健民課(健康教育課)の支援のもとに市民の健康問題への対応を地域レベルで実践する中から当時重要視された青少年問題への対応の必要性も相まって青少年健全育成活動へと展開していく。横浜市が少年団活動の全国的な連合体結成に重要な役割をはたしたことから「健民」の名称がつけられたと推察できる。

しかし、少年団活動(組織)が横浜をモデルとして形成されたか言えば、そうでもないようである。横浜市健民少年団としては、昭和25年の遊び場活動から3年後の昭和28年3月が正式発足。これに対して、彦根市では「双葉少年団」が昭和24年に結成されているなど、1950年前後から全国的に青少年活動団体が組織されてきている。(注2)彦根市健民少年団は双葉少年と2つの子ども会とで昭和29年に結成、同年の横浜市で開かれた最初の全国大会に参加している。この大会は25都市の参加445名の参加(注3)、翌昭和30年には33都市710名、そして第3回の昭和33年は70都市の参加となっているところから、各地域で少年団が結成されたようである。

1.1 横浜市調査から(追記2018年7月)

横浜市の健民少年団をモデルとして全国的に展開されたのか?

当時の横浜市教育委員会健康教育課が月刊で発行していた広報紙「横浜健民」(昭和24年6月ごろ創刊)は、健民少年団に関することが中心的に扱われて記載されている。横浜健民No92号(昭和37年10月18日)に「日本健民少年団連合結成宣言」が昭和36年8月11日堺市で開催された第6回全国都市青少年交歓大会で宣言されたとの記事がある。(注5)また同号には、全国都市青少年体育振興会議のあゆみ略記が掲載されている。これによると、昭和33年横浜での全国都市青少年交歓大会に参加した各市体育担当者の会議を全国都市青少年体育振興会議と名付け、以降毎年1回、振興会議と全国都市青少年交歓大会を開催することが決議されている。この振興会議は、昭和24年に発足した全国数十都市体育担当者により構成される全国都市体育研究協議会が発端となっている。(注6)そして、この全国都市体育研究協議会と後継となった全国都市青少年体育振興会議が、健民少年団の全国展開を進めたと考えられる。(注7)

2.堺市少年の結成

堺市少年団の結成は「昭和35年3月」との記載が後年の堺市教育要覧等に記載されている。結成時の様子(結成大会など)が判る資料が見つかっていないが、結成時に入団していた清家昌弘氏へのヒアリング(昭和34年4月の浜寺中学校入学直後に少年団に入ったとの話)からも昭和35年3月の結成は間違いないであろう。(堺市少年団の結成は昭和35年3月13日と判明 注8)結成の3月末(28日~30日)には第5回全国青少年交歓大会が神戸市で開催されている。堺市少年団として参加するために、いくつかの中学校で発足した団をまとめて堺市少年団として結成を図り、全国の集まりに参加したと考えられる。

堺市教育委員会が作成した「堺市教育行政方針案昭和35年」には、社会教育の事項として、「学区を単位とする組織網の確立に努め社会教育の浸透を図る。」「子供会及び少年団組織の拡充をはかり相互の有機的関連を保ちつつそれらの自主的な活動を奨励する。」(同書p12)記載され、中学校単位での少年団組織をつくり、小学生の子供会活動後も中学校に於いて健全育成活動を推進する団体として期待されていた。これは、急速な経済成に伴う都市化の進展などから少年非行が増加(昭和39年には戦後少年非行第2のピーク)し、非行対策が喫緊の課題でもあったのも大きな要因だと考えられる。

2.1 横浜市調査から(追記2018年7月)

1.1で参考とした横浜健民No54号には、横浜市・東京に於いて昭和30年3月27日から3日間全国都市健民少年幹部訓練会実施の報告がある。この記事では、研修会に全国34都市の参加の中に堺市が記載されている。この訓練会は全国都市青少年体育振興会議が主催であり、前身の全国都市体育研究協議会時代を含めて、この組織との連携し堺市として少年団結成の準備が本格化したと推察される。全国都市青少年体育振興会議は昭和33年に第1回が開催され、第4回が堺市で開催されている。これは、昭和36年の全国都市青少年交歓大会と同時に開催されている。昭和33年の訓練会に参加後、本格的な準備進め35年結成、36年の大会開催へと動いた。

2.2 8月3日亀井先生・雑賀先生のヒアリング

2.1で昭和30年3月全国都市健民少年幹部訓練会に堺市からの参加とあるとおり、このころから結成に向けた準備が進んでいたが、昭和33年錦西小学校6年だった亀井先生は少年団があったとの証言を得た。体育の萩原先生(後に体育館や社会体育課勤務や堺市スポーツ少年団設立)担当していたとのことであった。テストケースとして先行して始まったと考えられる。昭和34年度の市教育委員会社会教育方針には、「音楽・野外活動を中心としに少年グループ少年団の結成」が盛り込まれている。清家氏の証言により浜寺中学校にも昭和34年度には結成されていたことになり、昭和33年から本格的準備に入っていたことが判る。

3.少年団とは

少年団とはどのような組織であり、どのような活動を行ったのか?

私自身が自己紹介を行うと時は、「中学・高校時代はボーイスカウトのような活動をやっていました。」少年団の名称は戦前のボーイスカウトの名称ではあるが(注9)、少年団と言っても一般的には理解してもらえないであろうことからである。

昭和37年発行の堺市少年団指導の手引きによると、団員規定として、「(1)市内在住の中学生を主とし・・・、(2)小学校5年生以上又は高等学校生徒で・・・・」(同手引き書p18)となっている。ボーイスカウト年齢を含めているが、堺市としては中学生主体であり、小学生は一部団に限られていた。ちなみに、横浜市健民少年団は、「11歳から15歳までの市内在住の少年少女」となっている。

組織は図1のとおりであり、8名前後班活動を基本として、隊・団を編成するボーイスカウトのパトロールシステムと同様である。中堅幹部隊としてボーイスカウトのシニアスカウトやローバースカウトに相当する年齢を指導者として位置付けている。

又、ユニフォームについても、ボーイスカウトよく似たタイプ(図2)で上着カラーがグレイである。(日本各地の少年団でも同様のカラーが採用されていた。)少年団では上着は制服としているが、ズボン・スカートに指定はなく、中学生では学校の制服を利用していることが多い。上下揃える費用が高くなるのを配慮した結果と思われる。

3.少年団の活動

ボーイスカウトとよく似た構成や組織づくりであるが、その活動はどうであったのか?

昭和28年に発行された横浜市の「健民運動の手引き」では、「都市の青少年に自然的な生活を与え併せて環境を異にする各種地域の生活を体験して見聞を広め社会的経験を深め健康で創造力豊かな少年を育成しようとするもの」(同書p1)と冒頭に書かれている。そして、具体的な活動として、「野外活動により、原始生活体験や共同生活体験から、情操・認識、体力、技術、国土愛を深める社会訓練を行うことと、各地域の少年と生活を共にし、親交を深めること」があげられている。自然体験活動と他都市との交歓活動の2つの柱となっている。

堺市少年団では、先の指導の手引きにその指導の目標として、「新しい世代に進展する少年たちを明るく、健やかに、しかも心豊かに育成するため、規則正しい集団生活の中でスポーツ活動、文化活動、野外活動、交歓活動、奉仕活動など(中略)、特に山野での集団活動をすすめ、大自然に親しませるほか生活様式や、自然風物を異にする他郷の少年たちと交り、見聞を広めるなど、精神と肉体がよく調和しかつ健全な想像力に富む誠実な少年を育成する。」ほぼ同様の項目が記載されている。実際の活動経験からは、自然体験活動としてのキャンプと交歓活動の全国大会の想い出が強い。自然体験活動や奉仕活動等ではボーイスカウト活動とほぼ同じであるが、都市交歓活動が大きな特色としてあげられる。(注10・11)

注1 特定非営利活動日本健民少年団連合のホームよりhttp://kenmin.kids-site.net/histry.html

注2 1946年の文部省から青少年団体の設置、青少年不良化防止対策、児童愛護班結成などについてなどの通達が出され、青少年の非行問題への対応を踏まえて青少年活動団体の結成の促進が図れる。戦後いち早く復活したYMCAやボーイスカウト、そして1948年から開催されたIFELの講習会の地域の拡散。1951年が非行の第1のピーク。1953年青少年問題協議会の法制化。

注3 全国大会の歩み50,2006,日本健民少年団連合

注4 現在は神奈川県・新潟県・愛知県に3市と滋賀県・大阪府に1市の11都市に少年団がある。堺市など過去にあった都市では、函館市から鹿児島市まで38都市名が判明。設立については、豊橋市昭和30年、守口市昭和33年、大垣市昭和35年、村上市昭和36年、小田原市昭和42年。不確定であるが、大和高田市昭和30年頃、神戸市1955・6年、芦屋市昭和34年、西宮市昭和40年。

注5 日本健民少年団の発足ついては、坂中勇亮の研究がある。それによると「昭和28年に設立された「横浜市健民少年団」の活動は、各都市との交歓活動や、平沼横浜市長の尽力により、全国の各都市へと発信され、各地に健民少年団が設立された。その結果、全国規模の健民少年団組織の設立を求める機運が高まり、昭和29年3月27日から29日にかけて、横浜市において第一回全国都市健民少年交歓大会が開催され「日本健民少年団」が設立された。(坂中勇亮,2015,横浜健民少年団に関する史的考察, 東洋大学大学院紀要52号,p281)となっているが、ここでは全国都市体育研究協議会が開催され、「全国健民少年運動の展開」が議題となり議論されたが(横浜健民第46号)、組織的(日本健民少年団連合)な結成は昭和36年8月の記載のとおりである。

注6 全国都市体育研究協議会が昭和24年の発足後約6年間に日独青少年交歓事業等活発な活動を続けたが、昭和30年頃には自然消滅となり、全国都市青少年体育振興会議を生む誘因となった。(横浜健民No92号)都市体育主管者の名称組織として健民少年団や青少年育成活動が中心を占めることへの抵抗もあったと推察される。

注7 全国都市体育研究協議会の会長が横浜市長であり、全国市長会議や都市教育長協議会での発信している。そして、昭和30年の協議会幹部会議により、健民少年運動の全国展開について国への要望書提し他市へ大きな影響を与えたと考えられる。

注8 横浜市健民少年団60周年記念誌の年表に、堺市少年団結成が昭和35年3月13日と記載されている。(同誌,p30)

注9 日本のボーイスカウトは、大正11年創立時は少年団日本連盟の名称であり、法人格を持った昭和10年は大日本少年団連盟の名称であった。戦後昭和24年に財団法人ボーイスカウト日本連盟となっている。

注10 ボーイスカウトのジャンボリーが国内では日本ジャンボリーとして開催されているが、こちらはらキャンプ大会としての要素が強い。

注11 横浜市では結成以前の昭和27年7月に柏崎市を訪問し8月には柏崎市からの受入れを行っている。翌28年の結成日記念日としている3月27日は、1,200名の団員が相模原市を訪問交歓した日である。また、同年7月には貸切列車で1,200名の団員が京都市を訪問し、8月には京都からの受入れ行っている。この交歓活動は当初「遍歴活動」呼ばれとして頻繁に他都市との交歓活動を行ってきている。

参考文献

①横浜健民(No28.39.42.45~49.53.54.56.5761~63.70.75.78.83.88.92号)

②横浜市健民少年団30周年記念誌

③横浜市健民少年団60周年記念誌

④横浜健民少年団に関する史的考察,坂中勇亮,2015東洋大学大学院紀要52号

⑤第6回全国都市青少年交歓大会・昭和36年度全国都市青少年体育振興会議参加のしおり

⑥堺市少年団指導の手引き,堺市少年団,1962

⑦健民少年運動の手引き,横浜市健康教育課,1953

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