ESDへの経緯

ESDにいたる経緯についての私見

「ESD」の知名度不足から、まず「ESDとは何か」説明の必要場面が多い。神大ESDコースの授業に関わる中で、私なりに整理したESD成立までを書こうと思う。

2005年10月に出されたユネスコ「国連持続可能な開発のための教育の10年国際実施計画書(以下『DESD』と略)」の附属文書ⅠにESDの背景として記載がある。冒頭に、「持続可能な開発のための教育(ESD)は、教育と持続可能な開発という、2 つの異なる国連の関心事項の歴史の中に端を発している。」(注1)と書かれている。しかし、これはESD(DESD)を推進するための主導機関として国連が指名したのがユネスコとなったためであると考えている。この文書では、「持続可能な開発」は環境問題への取り組みに端を発しているとも書かれている。教育と環境問題の国連等の国際会議を中心とした歴史から作成したのが以下の資料です。(一つ前の投稿図は環境と教育に分けた簡易版)

ESDの成立経緯詳細版(附属文書等を参考に2009年に作成したものを随時更新、2017年版)

最も大きな流れは、環境問題から出発した環境教育への流れであるのは明らかである。そのスタートポイントは、1972年に開催された国連人間環境会議である。

国連人間環境会議へ経緯

大気汚染や水質汚染による環境破壊は、産業革命以降石炭・石油等の化石燃料の消費や産業廃棄物による近代化の歴史でもある。化石燃料を使うことで発生する硫黄酸化物等が原因して生ずる酸性雨は、世界各地で魚類や森林・農作物などへの被害をもたらした。

日本では、1950年代頃から水俣病(注2)、イタイイタイ病(注3)、四日市ぜんそく(注4)など後に公害病となる問題が顕在化し、1967年から69年にかけて訴訟が始まり、1971年から73年にいずれも原告被害者の主張を認め、被告企業に損害を賠償することを命じ、きびしく企業の責任を追及した。また同時に、行政の姿勢に対しても強い反省を促すものとなった。この間の1971年には環境庁が発足している。

ヨーロッパにおいの環境問題は、1950年代頃から国境を越える環境問題として認識されてきていた。越境環境問題の最古としての取り組みが1950年に設立された「ライン川保護国際委員会」がある。この組織は1963年にはライン川汚染防止のための協定がスイス、ドイツ、フランス、ルクセンブルグ、オランダによって締結され「ライン川汚染防止委員会」として常設事務局を持ち国際協力の枠組みで活動した。(注5)ヨーロッパにおけるこのような協働の取り組みが、1972年の国連人間環境会議に至る流れを創ったと考えられる。

1968年国連総会において「人間環境会議」の開催が決定される。そして1970年から2年間3回の準備会合を持って開催に至る。準備委員会では「人間環境」とは何かがかなり議論された。先進工業国が進めたい「地球規模の環境問題に対する規制」と「工業化こそが貧しさに起因する劣悪な人間環境を向上さる」と考える開発途上国の対立も表面化していた。最終的には「①人間居住の環境問題、②天然資源管理の環境的側面、③広い国際的意義をもつ汚染物質とニューサンスの把握と規制、④環境問題の教育,情報,社会,文化的側面、⑤開発と環境、⑥各種実行計画の国際的機構の問題」の6つの問題に絞り込まれて「Only One Earth=かけがえのない地球」をテーマに1972年6月5日から2週間、ストックホルムで開催された。その成果は、「人間環境宣言」と「環境国際行動計画」として発表され、ESDへの流れの源流となったと考えられる。以下の26項目の原則が提示された。そして行動計画を受け1972年に国連環境計画UNEPが発足する。

注1:http://www.yc.tcu.ac.jp/~sato-laboratory/files/3-5-3.pdf,佐藤真久・阿部 治監訳 (2006)「DESD 国際実施計画」『ESD-J2005 活動報告書』持続可能 な開発のための教育の10 年推進会議(ESD-J) pp.188

注2 メチル水銀化合物による水質汚濁、1953年頃から魚貝の大量死や奇病の発症

注3 鉱毒としては1920年ごろには認識されていたが、1955年に命名されたカドミウム汚染

注4 石油化学コンビナートからの硫黄酸化物による大気汚染、1959年頃から喘息患者が増加

注5「環境問題をめぐる欧州地域協力枠組みの歴史的展開」,高橋若菜,2004

 

2017年11月17日続く・・・

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